平成8年11月2日、私たちの長男としてこの世に産声をあげた…それが亮祐。頭が大きすぎて、尾てい骨にあごが引っ掛かっていた為、すんなり誕生とならずに緊急帝王切開で生まれました。 亮祐は、ミルクをよく飲み、よく泣きました。夜泣きがひどく、ノイローゼぎみになった事もあります。でも、そんな事はお構いなしで、すくすくと育っていきました。

 



どっちの親に似たのか、いつもおちゃらけてばかり…  ギャグセンスは最高で、この子の右に出る者はいないんじゃないかと思った事もあります。  亮祐の笑顔はピカイチで、周囲の人達みんながハッピーな気分にさせられました。 また、親の私の方がついていけない位、活発な子でもありました。


 



小学校の入学式の朝…  着なれないスーツを着て、何だかいつもと違って少し緊張気味。新しい世界に羽ばたく希望と不安とで、胸が一杯だったに違いありません。 「友達たくさんつくるぞー!」と意気込んでいた、少しお兄ちゃんになった亮祐でありました。







 お友達もたくさんできて、3年生になってからは、学校から帰るとランドセルを放り投げ、バットとグローブの入ったリュックを背負って自転車で出かけるようになりました。  飽きっぽい性格だった事もあって、「またすぐに飽きるだろう…」と思っていましたが、一向にその気配はなく、亮祐のやる気を認めて4年生になって間もなく、地域の少年野球クラブに入れてもらいました。入って初の試合、低学年大会… そこではキャッチャーを任せられ、なんと初打席ランニングホームランという成績を残しました。その後も厳しい暑さ、寒さの中での練習と試合を、一生懸命頑張って来ました。



二学期に行われた音楽の集いでは、4年生のみんなと一緒に、とても素晴らしい歌声を披露してくれました。 手作り衣装を揃え、みんなとてもかっこ良かったです。ボイスパーカッションで歌った「野菜の気持ち」は、見ている人たちをとてもハッピーにしてくれました。練習成果がすごく良く出ていて、それまでのみんなの頑張りが、とても良く伝わってきました。この時の写真が、亮祐が元気な頃最後の写真になろうとは、誰も予測していなかったでしょう…





発症してから3ヶ月間は本当に悲惨な状態でした。点滴に囲まれ、人工心肺、透析…何度も危険な状態になりましたが、亮祐はその都度、乗り越えてくれました。補助人工心臓を装着し、人工呼吸器がはずされてから久しぶりにスポーツドリンクを飲んだ時の笑顔は忘れられません。




りょうすけ君を救う会
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